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新鴻基(サンフンカイ)館

新鴻基地產發展有限公司(サンフンカイ・プロパティーズ)

「新鴻基」(サンフンカイ、Sun Hung Kai)の歴史は 1958 年にさかのぼります。3人の創業者、馮景禧(フォン・キンヘイ、Fung King-hey)、郭得勝(クォック・タクセン、Kwok Tak-seng)、李兆基(リー・シャウキー、Lee Shau-kee)はこの頃すでに協力して「永業企業公司」(Wing Yip)を経営し、「沙田酒店」というホテルを買収して不動産分野で事業を始めていました。その後3人は新鴻基を設立して金融業にも進出し、買収と自社創業の両面から、事業を公共事業、交通、通信、旅行、小売などの分野へと広げ、香港の人々の暮らしに深く関わる存在となりました。

新鴻基には、19世紀の英国系「洋行」(外資商社)のような政治的背景はありません。広東から香港へ南下してきた数名の創業者が、第二次世界大戦後の香港不動産ブームと1970年代の株式市場の活況という好機をとらえ、新鴻基と恒基(ヘンダーソン)の大きな発展を切り開きました。その事業は香港のあらゆる分野に及び、これに触れずに暮らせる香港の人はいないと言われるほどで、その浸透力は伝統的な英国系洋行をすでにはるかに超えています。

新鴻基の

香港ストーリー

新・鴻・基

1963 年、3人の創業者は「新鴻基企業有限公司」を設立しました。その名は、馮景禧がかつて営んだ「新禧公司」(Sun Hei)、郭得勝がかつて営んだ「鴻昌進出口有限公司」(Hung Cheong)、そして李兆基の名の「基」の字から、それぞれ一字ずつ取ったものです。当初の事務所は中環(セントラル)の士丹利街(スタンレー・ストリート)にあり、従業員は十数名でした。記録によれば、当時3人の株主は毎日 15 時間働き、それぞれ異なる経歴と経験を生かして緊密に協力し、工業ビル市場の開拓に成功して、不動産業で確かな足場を築いたといいます。

1969 年、新鴻基は証券仲介業務を開始し、馮景禧が率いる「新鴻基證券」(Sun Hung Kai Securities)と「新鴻基財務」が誕生しました。新鴻基證券は 1970 年代半ばに上場し、のちに 1983 年、「新鴻基有限公司」(Sun Hung Kai & Co.)と改称しました。新鴻基財務のほうは、1982 年に銀行免許を取得した後、「新鴻基銀行」と改称しています。

1972 年、株式市場の活況に乗って新鴻基企業は「新鴻基地產發展有限公司」(サンフンカイ・プロパティーズ)へと改組のうえ上場し、郭得勝が筆頭株主となりました。同年、李兆基は他の出資者とともに「永泰建業」(Wing Tai)を設立して上場させ、その後 1976 年に単独で「恒基兆業」(ヘンダーソン)を設立しました。

メディアや書籍は、新鴻基の3人の創業者をしばしば「三剣客」と呼びます。彼らは 1970 年代からそれぞれの道を歩み、数十年にわたる買収・合併を経て、今日の複雑なブランド関係の構図が形づくられました。

馮景禧・

のちに関係が絶たれた

新鴻基公司

金融業務を率いた馮景禧は、それぞれの道を歩み始めたのちも「新鴻基」ブランドで証券・貸付業務を続けました。1970 年設立の「新鴻基財務有限公司」は、1973 年の株価暴落後は貸付を主業として金融業務を拡大し続け、のちに「新鴻基銀行」と改称しました。

1985 年、新鴻基銀行では取り付け騒ぎが起きたと伝えられ、同年 Arab Banking Corporation に売却されて「港基國際銀行」(International Bank of Asia、略称「港基」)と改称されました。馮景禧は 25% の株式のみを保有し続けましたが、1990 年にすべて売却しました。港基でも 1990 年代に取り付け騒ぎが発生し、2004 年に台湾の「富邦金融控股」(フーボン・フィナンシャル・ホールディングス)が港基へ出資、翌年「富邦銀行」(フーボン銀行)と改称されました。

一方、証券業務は、今日もなお営業を続ける「新鴻基公司」(Sun Hung Kai & Co.)となりました。1980 年には、新鴻基を経由する取引が一時、香港株式市場の総売買高の 35% 超を占め、当時最大規模の証券会社と評されて、「香港のメリルリンチ」との異名も取りました。1985 年に馮景禧が死去すると、息子の馮永祥(フォン・ウィンチョン、Fung Wing-cheung)が経営を引き継ぎ、1989 年に「新鴻基工業」を設立しました。新鴻基工業は 1996 年に「禹銘投資」(Yu Ming Investments)と改称し、同じ頃、馮家は新鴻基公司を、オーストラリア国籍の華人・李明治(リー・ミンティー、Lee Ming Tee)一族の「聯合地產」(Allied Properties)へ売却しました。これ以降、「新鴻基」の名は、創業者の一人である馮景禧とは無関係になったのです。

そして、創業家とはもう「関係」のなくなった「新鴻基公司」は、今も金融業界で活動を続けています。「新鴻基信貸」(Sun Hung Kai Credit)、「光大新鴻基」(Everbright Sun Hung Kai)、「亞洲聯合財務」(United Asia Finance、UA)などは、いずれも新鴻基公司傘下の事業です。

李兆基・

「四叔」系の恒基地産

メディアからよく「四叔」(セイソック、「四番目の叔父さん」の意)と呼ばれる李兆基は、「新鴻基」の名からは離れて発展しましたが、馮・郭の両家とは長く関係を保ち続けました。1972 年から 2020 年まで、郭家の「新鴻基地產發展有限公司」(新地)の取締役会副主席を務め、また馮家の「新鴻基公司」でも、1996 年に同社が売却されるまで一貫して副主席を務めました。

二つの「新鴻基」の副主席を務めるかたわら、李兆基は永泰建業に続いて「恒基兆業地產有限公司」(ヘンダーソンランド、恒地)を設立しました。恒地はのちに永泰を買収し、「恒基兆業發展有限公司」(ヘンダーソン・インベストメント、恒發)と改称しています。長年の買収と再編を経て、香港の人々になじみ深い「中華煤氣」(タウンガス)、「油麻地小輪」(ホンコン・ヤウマティ・フェリー)、「美麗華旅遊」(ミラマー・トラベル)、「美麗華廣場」は、いずれも恒地傘下の事業です。さらに飲食業の「國金軒」や「翠亨邨」、ガス会社傘下の「TGC」や車用LPGスタンドの「易高」、小売業の「APITA」「UNY」「千色 Citistore」といった名前も、みな恒地とつながりがあります。

本業である不動産開発の物件も実に幅広く、「IFC」「千色匯」「新都城中心」「沙田中心」「新港城中心」「匡湖居」「嘉亨灣」「翔龍灣」「比華利山別墅」などのほか、数多くの住宅、ショッピングモール、商業・工業ビルが香港各地に広がっています。

郭得勝・

新地系の新鴻基地産

郭得勝は 1972 年に新鴻基地產(新地)を率いるようになると、物件管理会社「康業」(Hong Yip)をはじめ数々の買収を行い、さらに「啟勝管理服務公司」(Kai Shing Management Services)を設立して、不動産事業の展開を強化しました。その後、「沙田第一城」(シティ・ワン・シャティン)、「薄扶林花園」、「新城市廣場」(ニュータウンプラザ)、「大埔中心」といった大型プロジェクトに携わっています。

長年の発展を経て、香港の数多くのランドマークが新地のプロジェクトとなりました。新地本社の入る灣仔(ワンチャイ)の「新鴻基中心」、同じく灣仔の「中環廣場」(セントラルプラザ)、葵芳の「新都會廣場」、「上水廣場」、「新元朗中心」、火炭の「駿景園」、旺角(モンコック)の「新世紀廣場」、將軍澳の「東港城」、觀塘の「創紀之城」と「APM」、香港駅の「IFC」、九龍駅の「ICC」「天璽」「凱旋門」、跑馬地(ハッピーバレー)の「禮頓山」、馬灣の「珀麗灣」、元朗の「YOHO Town」と「Yoho Mall 形點」、新蒲崗の「Mikiki」と「譽港灣」、將軍澳の「天晉」と「天晉匯」、北角の「海璇」、南昌駅の「V Walk」などが挙げられます。

新地はホテル開発も手がけており、中環の「四季酒店」(フォーシーズンズホテル)、沙田(シャティン)の「帝都酒店」、荃灣の「帝景酒店」、旺角の「帝京酒店」、九龍駅の「W Hong Kong」と「The Ritz-Carlton」(ザ・リッツ・カールトン)、將軍澳の「九龍東皇冠假日酒店」(クラウンプラザ香港カオルーンイースト)、北角の「維港凱悅尚萃酒店」(ハイアット・セントリック・ビクトリアハーバー)などがあります。

暮らしの隅々にまで及ぶ

非不動産事業

新地は不動産開発に力を注ぐだけでなく、香港の人々の生活の細部にまで入り込む事業を数多く展開しています。早くも 1980 年には「九巴」(カウバー、KMB=九龍バス)への買収戦を仕掛け、最終的に筆頭株主となりました。「九龍巴士」は 2005 年に「載通國際」(Transport International)傘下の一員となり、その主な事業には「九巴」のほか、「龍運巴士」(ロングウィンバス)、「陽光巴士」(サンバス)、「皇崗-落馬洲穿梭巴士」(皇巴)などがあります。

1991 年、新地は駐車場管理の「威信」(Wilson Parking)を買収しました。近年その事業は「Mack Parking」、「快易通」(Autotoll)、「香港駕駛學院」(自動車教習所)などにまで広がり、「大欖隧道」(タイラムトンネル)、「青馬大橋」(チンマー大橋)、「香港仔隧道」(アバディーントンネル)といった道路の管理業務も手がけています。

1993 年には「數碼通」(SmarTone)を設立し、2000 年には「新意網」(SUNeVision)を上場させました。新地はこのほか、「天際100」(sky100)、「香港內河碼頭」、「香港商用航空中心」、「機場空運中心」などの事業も運営しています。

2005 年に「西友(沙田)有限公司」を買収した後は、「一田百貨」(YATA)と改称しました。一田は本拠地である新城市廣場のほか、APM、Mikiki、V City、新世紀廣場、新都會廣場、形點といった新地傘下のショッピングモールへと店舗を広げています。

香港で暮らしていて、新地と恒地の事業を避けて通ることは、まず難しいでしょう。そして「新・鴻・基」の発展には英国系洋行のような政治的背景がなく、香港社会の発展のもう一つの節目といえます。香港返還後は中国本土の資本が香港市場へ大挙して参入し、各分野のブランド競争の構図には、ふたたび変化が生じています。

天際 100 學堂(sky100 アカデミー)

新地が建設した天際 100(sky100)香港展望台は、香港一の高さを誇る環球貿易廣場(ICC)の 100 階にあり、海抜 393 メートルに位置します。「天際 100 學堂」は、国際都市・香港が過去数十年に遂げてきた変貌を、生徒たちが探究する教育プログラムです。

プログラムは「天際小小探索家」(幼稚園~小学校低学年向け)と「天際探索先鋒隊」(小学校高学年~高校向け)の2種類に分かれ、それぞれの学年に応じた内容になっています。ウェブサイトによると受け付けは団体申し込みのみです。ご興味のある方は天際100 のウェブサイトをご覧ください。

所在地:環球貿易廣場 100 階

対象:中等・初等学校および幼稚園の生徒

ウェブサイト: https://sky100.com.hk/zh-hant/sky100-academy/

参考資料:

香港億萬富豪列傳

王敬羲等著

香港 : 文藝書屋 1978

香港企業大王

呂志華著

第4版 香港 : 明報出版社有限公司 1995

香港富豪列傳

何文翔著

香港 : 明報出版社 1991

成長中的新鴻基 = The growth of Sun Hung Kai

Sun Hung Kai Securities Limited , Sun Hung Kai Finance Co

香港地產業百年 = A century of Hong Kong real estate development
馮邦彥著

第1版 香港 : 三聯書店香港有限公司 2001

https://www.shkp.com/zh-HK/about-us/history-and-milestones

https://www.leeshaukee.com.hk

https://shkco.com/c/about_milestone.php

https://www.miramar-group.com

https://www.towngas.com/

https://www.hld.com/

https://sky100.com.hk/zh-hant/sky100-academy/

https://www.fubonbank.com.hk/tc/about-us/key-milestones-archive.html

https://ps.hket.com/article/2749578

http://www.beahk.org/history_bankrun.htm

https://www1.hkej.com/dailynews/headline/article/614849/%E6%96%B0%E9%B4%BB%E5%9F%BA%E9%87%91%E8%9E%8D++%E8%88%87%E6%96%B0%E5%9C%B0%E7%84%A1%E7%9B%B4%E6%8E%A5%E9%97%9C%E4%BF%82 [アーカイブ]

https://www.mpfinance.com/fin/daily2.php?node=1558984194275&issue=20190528 [アーカイブ]

Published in Oct 2020 by Hong Kong Brand Museum 香港品牌博物館

ブランドから見る香港史|013・新鴻基館|一本でわかる「新・鴻・基」の香港物語2023-11-17