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香港電台(RTHK)館

香港電台(RTHK)

第二次世界大戦前、香港政庁で情報を一貫して司っていたのは郵政部門でした。郵政署は郵便サービスに加え、電報、無線、郵便為替などもすべて郵便局で取り扱っていました。無線に関わる放送サービスももちろん例外ではなく、「香港電台(RTHK)」の前身は 1928 年、中環(セントラル)の郵政総局(中央郵便局)で香港の放送史の幕を開けました。

香港電台

と

香港の放送の歴史

郵便局が運営した

政府ラジオ局

「ZBW」と「ZEK」

香港の放送の歴史は 1928 年 6 月、2 人の技師とアマチュア無線家たちの後押しによって始まり、コールサイン「GOW」で放送が行われました。1929 年 2 月、英領香港政庁は郵政総監に香港放送史上初のラジオ局長を兼務させ、官営ラジオ局はコールサイン「ZBW」で放送を始めます。同年 10 月、スタジオは中環の旧郵政総局に移転しました。これが「香港電台」の前身の最初期の歩みで、郵便局が放送サービスを運営し、聴取する市民は料金を払って免許を受ける必要があり、無免許の聴取は違法とされていました。

香港初期のラジオ放送は AM 845 kc の中波で送信されました。当時は英語番組のみで、内容はクラシック音楽、流行歌、ニュース、天気、株式市況から、英国放送協会 (BBC) の中継にまで及びました。1931 年、ZBW はおよそ月 1 回・1 時間の中国語放送番組の提供を始めました。

1934 年、中国語と英語は同一チャンネル内で時間を分けて放送されるようになり、中国語放送は「ZEK」をコールサインとしました。広東語の内容のほか、國語(標準中国語)や潮州語の番組もありました。これは当時、中国北方から香港へ渡ってきた華人が多かったことを反映しています。番組はニュース・情報が中心で、のちに音楽番組も強化されました。

1938 年、香港で 2 番目の送信所が稼働したことに伴い、中国語・英語の両局は正式に別々の局として放送を行うようになりましたが、1941 年、日本軍が香港を占領すると放送は中断されました。日本占領期に設立された「香港放送局」はコールサイン JPHA で放送サービスを運営し、日本語放送を加えたほかは、引き続き広東語・國語・英語でニュースと娯楽番組を放送しました。

ケーブル・アンド・ワイヤレス(大東電報局)に置かれた

ラジオ局

香港廣播電台 Radio Hong Kong

第二次世界大戦後、ラジオ放送サービスは速やかに復旧し、1948 年 8 月、政府ラジオ局は放送 20 周年を祝うにあたって局名を「香港廣播電台」(Radio Hong Kong) に改めました。分析によれば、戦後、東西両陣営が冷戦に入るなか、英国の経済的利益と西側世界の価値観を広めるという政治的考慮のもと、香港政庁は英国政府から資金と先進的な機材の援助を得たとされます。

1949 年、政府ラジオ局は改組されて管理体制が格上げされ、郵便局も電信関連のサービスをケーブル・アンド・ワイヤレス(大東電報局)に委ねたため、スタジオは同社の中環本部に移りました。1951 年、政府ラジオ局の管理権は郵政総監から政府の広報担当官へ正式に移管されます。1954 年、英領香港政庁は放送を所管する「廣播處」を設立し、以後、廣播處長(放送処長)が政府ラジオ局の運営を率いることになりました。1957 年には港台(香港電台の略称)の中国語チャンネルが終日放送を開始しました。

1949 年 3 月 22 日、「麗的呼聲」(レディフュージョン、Radio Rediffusion)が中国語・英語各 1 チャンネルで開局しました。有線による伝送で、低音や高音を伝えられない AM 放送より音質が良く、香港に 2 番目のラジオ局が誕生したのです。もっとも、元香港電台デジタルラジオ局長の葉世雄の話を引いた報道によれば、港台と麗的はたびたび協力して大戲(ダイヘイ、広東オペラ)を同時放送し、貧困救済番組を共催したこともあったといいます。

広播道への移転

百花繚乱の「五台山」

1959 年 8 月 26 日、「商業電台」(コマーシャル・ラジオ)が電波での放送を開始し、港台の本当の競争相手となりました。もっとも商業電台の誕生は、創業者の何佐芝(ジョージ・ホー)が Sony ラジオの代理店業務を営んでおり、ラジオ受信機の売上を伸ばすためにラジオ局の開設に投資したことによるものでした。商業電台の登場と、安価なトランジスタラジオ(原子粒收音機)の出現はラジオ放送の黄金期をもたらし、港台もその恩恵を受けました。

1960 年 6 月 1 日、香港で FM 超短波放送が始まり、音質は大幅に向上しました。「香港廣播電台」は商業電台との正面からの競争にさらされ、人材の引き抜き合いに加えて番組競争も白熱し、ラジオドラマは当時の大衆娯楽の重要な一部となりました。港台はサッカー中継にも力を入れ、毎週数試合を実況中継していました。

1963 年、商業電台は広告が多すぎることから第 2 チャンネル(商業二台)を開設し、ラジオ放送の人気ぶりを証明しました。受信免許を取らないまま聴いている市民も少なくありませんでした。1967 年、政府は思い切ってラジオ聴取の有料免許制度そのものを廃止します。当時の免許総数はすでに 18 万件を超えていましたが、聴取世帯は 60 万に達していたと推計され、当時の香港の人口は約 300 万人でした。

爆発的に発展するラジオ放送に対応し、港台は 1969 年 4 月 25 日、九龍塘の広播道(ブロードキャスト・ドライブ)30 号の広播大廈(放送ビル)へ移転し、現在に至ります。港台はTVB(無綫電視)と麗的呼聲に続いて広播道に移り、その後、商業電台、教育電視、佳藝電視(佳視)が相次いで進出したことから、広播道は「五台山」(5 つの放送局の山)の異名を取るようになりました(教育電視はのちに港台と合併したため、あわせて五台と数えます)。

港台テレビ部の設立

現在まで続く局名への改称

香港電台 Radio Television Hong Kong

1967 年に「TVB(無綫電視)」が開局し、香港のメディアは新たな時代に入りました。1973 年、電波による放送の普及を受けて麗的呼聲の有線音声放送は終了し、代わって「麗的電視」(レディフュージョン・テレビジョン、RTV)が設立されました。これが 1982 年に改名した後の「亞洲電視」(ATV)です。1975 年には 3 番目のテレビ局「佳藝電視」も開局し、香港はテレビの黄金時代に入ります。

1976 年、「香港廣播電台」(Radio Hong Kong) も正式に「香港電台」(Radio Television Hong Kong) へと改称し、略称も「RHK」から「RTHK」に変わりました。「RTHK」の局章はそれ以来現在まで使われ続けています。同年、教育司署が 1968 年に設立した教育テレビ部門と合併し、1971 年にすでに放送が始まっていた「教育電視」(etv) を共同制作するようになりました。香港電台テレビ部はまた、『獅子山下』(ライオンロックの麓で)、『性本善』、『鏗鏘集』、『城市論壇』(シティ・フォーラム)、『頭條新聞』(ヘッドライナー)など、広く人々に親しまれた数々のテレビ番組を世に送り出しています。

教育電視のほかにも、香港電台は早くも 1973 年から王立香港警察の広報課と共同で『警訊』(ポリス・マガジン)を制作し、犯罪発生の経緯をドラマ仕立てで再現していました。17 歳で『警訊』と『少年警訊』の司会を務めた林嘉華は、警察出身として初の芸能人でもあります。『警訊』は 1973 年から 1978 年にかけて、常に視聴率上位のテレビ番組でした。

香港音楽界の立役者

十大中文金曲頒獎典禮(中国語名曲トップ 10 授賞式)

1979 年、香港電台が記者会見の形式で第 1 回「十大中文金曲頒獎典禮」(中国語名曲トップ 10 授賞式)を開催したところ、メディアと大衆の反応は意外なほど熱烈でした。以後毎年開催され、1982 年からはコンサート形式で行われるようになります。TVB が『十大勁歌金曲頒獎典禮』を始めたのは 1984 年、商業電台が「叱吒樂壇流行榜」を打ち出したのは 1988 年のことで、1991 年に開局した新城電台ものちに『新城勁爆頒獎禮』を開催しました。

この四大音楽授賞式は 80〜90 年代、毎年年初の香港の人々の熱い話題となり、地元音楽界を大きく発展させただけでなく、「四大天王」(当時の香港歌謡界を代表する 4 人のスターの称号)をはじめとする音楽界の大スターたちを生み出しました。さまざまなメディア、のちにはネットメディアが音楽授賞式を開くことが当たり前となりましたが、2019 年、社会運動の影響により会場での授賞式は中止されました。香港電台の「十大中文金曲」は、数十年続いた香港ポップカルチャーを切り開いた存在といえるでしょう。

香港の「烽煙」番組の元祖

香港電台のもう一つの注目点は、先駆けとなった「個人意見番組」です。早くも 1970 年代には『太平山下漫步』という番組があり、リスナーが番組の中で意見を述べることができました。1980 年代初めに番組は『八十年代』と改名され、2021 年時点でも『千禧年代』の名で毎朝ラジオとテレビで生放送されていました。

このようなリスナーの電話参加(phone-in)を受け付ける「烽煙」(フォンイン、phone-in の当て字)政治討論番組は、返還前後の異例なほど自由な政治環境のもとで、社会の世論をリードする牽引車となりました。香港電台はその後、夕方の時間帯に『自由風・自由Phone』を開始し、商業電台には 1980 年代に『自由港自由講』があり、のちに鄭經翰が看板を務めた『風波裡的茶杯』(茶碗の中の嵐)や黃毓民が司会する『毓民七鐘聚』が続き、人気パーソナリティが相次いで番組を降板した「名咀封咪」(名物パーソナリティのマイク封じ)事件の後には『在晴朗的一天出發』(晴れた日に出発)が始まりました。

香港電台テレビ部では『城市論壇』が長寿の政治討論番組となり、1980 年からすでに生放送の形でテレビ放映されてきました。2010 年代に政治対立が白熱すると、番組は再び社会の焦点となり、「維園阿伯」(会場のヴィクトリア公園で野次を飛ばす年配男性たち)という呼び名も生まれました。1993 年には「亞洲電視」にも『龍門陣』があり、黃毓民と鄭經翰の名を広く知らしめました。

八十年代.九十年代.千禧年代

政治の台風の目

近年、香港の政治対立が激化するなか、香港電台も政治の台風の目となり、たびたび親政府派(建制派)からの批判を受けてきました。人気テレビ番組『頭條新聞』の放送打ち切り、報道部記者・利君雅(ナベラ・コーサー)への調査、公的記録の照会(査冊)をめぐって起訴された『鏗鏘集』の編集ディレクター・蔡玉玲への支援拒否、放送経験のない政務官の広播處長への突然の起用と、きわめて経験豊富な職員でさえ判断のつかない基準による番組審査・放送停止・職員処分——これらの出来事はいずれも、港台がきわめて大きな変化に直面していることを物語っています。

特別行政区政府は報告書を発表して香港電台のガバナンスを批判しただけでなく、報道界出身の広播處長・梁家榮は異例の任期途中での契約解除・離職となりました。世論はもはや騒然となることもなく、それでも多くの人々が、社会が麻痺してしまう前に、短時間では到底受け入れがたいこれらの変化を懸命に浮かび上がらせようとしています。

香港電台のメディアとしての役割は、実質的に政治と切り離すことが困難です。1949 年には英国政府が政治的理由から資源を注いで港台の宣伝能力を強化し、2021 年には政府が、2019 年の激しい逃亡犯条例改正反対運動(反修例運動)を受けて、港台のガバナンスに大なたを振るいました。

香港の人々は、返還前後の 20 年近くにわたる異例なほど開かれた政治空間という佳き時代を経験しただけに、「香港電台」が直面する激変には複雑な思いを抱かずにはいられません。2018 年、香港電台は香港放送 90 周年を機に、歴史回顧展「回味港台」(港台を味わい直す)を制作し、その内容をウェブサイトで公開しました。資料は非常に詳細で、2021 年初めの時点でもそのページは残っていました。

港台の公式サイトが「回味港台」の内容に手を入れなければならなくなる頃には、「香港電台」というブランドもまた、「オーシャンパーク(海洋公園)」と同じように、その名が消える前からすでに香港の人々が懐かしむ集団的記憶になっていくように思われます。

参考資料:

一起廣播的日子 : 香港電台八十年(共に放送した日々:香港電台の 80 年)
陳雲, 1961-
初版 香港 : 明報出版社有限公司 2009

一鑑江湖:何鑑江自傳(何鑑江の自伝)

何鑑江

香港:新銳文創出版社 2020

http://rthk9.rthk.hk/about/pdf/90a_photoalbum.pdf

http://rthk9.rthk.hk/classicschannel/history.htm

https://app3.rthk.hk/mediadigest/content.php?aid=1894

https://app4.rthk.hk/special/rthk90/index.htm#top

https://app4.rthk.hk/special/rthk90/zone.htm

https://www.youtube.com/embed/HDexy3ReO60?rel=0

https://www.radioheritage.net/LLRI16.asp

https://www.master-insight.com/%E6%88%B4%E5%81%A5%E6%96%87%EF%BC%9A%E7%B4%B0%E8%AA%AA1928%E5%B9%B4%E8%87%B31940%E5%B9%B4%E9%A6%99%E6%B8%AF%E6%97%A9%E6%9C%9F%E5%BB%A3%E6%92%AD%E6%AD%B7%E5%8F%B2/

https://www.master-insight.com/%e5%bb%a3%e6%92%ad%e4%b9%8b%e9%a2%a8-%e7%9b%b4%e6%8d%b2%e5%85%a8%e5%9f%8e/

https://www.metropop.com.hk/%E9%83%B5%E6%94%BF%E9%A2%A8%E5%85%89%E5%8F%B2-%E6%AF%8F%E7%95%B6%E8%AE%8A%E5%B9%BB%E6%99%82 [アーカイブ]

https://hk.on.cc/hk/bkn/cnt/lifestyle/20170529/bkn-20170529090045443-0529_00982_001.html

Published in April 2021 by Hong Kong Brand Museum 香港品牌博物館

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品牌博物館 023・香港電台(RTHK)館|香港唯一の公共放送とその放送史2024-01-25