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HSBC館

HSBC(香港上海銀行)は香港に最も早く登場したブランドのひとつで、毎日、紙幣の上でも街角でも、
HSBCのロゴを目にしない日はありません。あの六角形のロゴに加え、
一対のライオンもHSBCの紙幣やクレジットカードに描かれていて、露出度は非常に高く、
誰にとっても見慣れた姿のはずですが、このライオンたちの物語を知る人はどれほどいるでしょうか。

HSBCブランドと香港の歴史

1865

開業

HSBCは香港で設立された銀行で、最初の店舗は1865年3月3日に開業しました。当初の名称は「香港上海滙理銀行」(1881年に「香港上海滙豐銀行」The Hong Kong and Shanghai Banking Corporation に改称)で、当時すでに英国統治下にあった香港の皇后大道(クイーンズロード)1号——現在の香港HSBC本店の場所——に構えられました。HSBCが上海とロンドンに開業したのは、その後の4月と6月のことです。

1881

紙幣発行

1865年、香港上海滙理銀行は香港の法令に基づいて登記・設立され、同年、発券銀行として紙幣の発行を開始しました。今日に至るまで、香港の発券銀行のひとつであり続けています。

年代ごとの紙幣には、当時のHSBCの中国語名の変遷も刻まれています。1881年以降に発行された紙幣では「滙豐」の表記に改められ、今日まで使われています。

1929

九龍進出

HSBCが初めて「海を渡って」開設した支店は、尖沙咀(チムサーチョイ)のザ・ペニンシュラに置かれ、香港で2番目の拠点となりました。

1935年には皇后大道中1号のHSBC本店ビルが完成し、当時の香港で最も高く、また香港で初めて冷房を備えた建物となりました。

1941

香港の光復

1941年12月16日、日本軍による香港占領が目前に迫る中、HSBCは本部を英国ロンドンに移しました。

当時のHSBC総支配人ヴァンドルール・グレイバーン卿(Sir Vandeleur Grayburn)は日本軍の捕虜となりました。伝えられるところでは、赤柱(スタンレー)収容所にいた行員が食糧や医療物資を購入できるよう資金の持ち込みを手助けし、最後は1943年8月、獄中で病により亡くなりました。

第二次世界大戦で日本軍が降伏し、香港が光復(解放)されると、HSBCは1946年に本部を香港へ戻し、戦後の製造業の発展のために商人への融資を行いました。香港の各地に綿工場や紡績工場が生まれ、多くの雇用が生み出されました。

また第二次世界大戦中、HSBCは未発行の紙幣への署名を強要されました。日本軍の脅迫のもとでHSBCの上級職員が署名させられたこれらの紙幣は「逼簽鈔票」(ビッチムチャウピウ、強制署名紙幣)と呼ばれます。英国政府は、逼簽鈔票が市中に出回って間もなく、これを香港の法定通貨として認めないと宣言しました。

戦後、あらゆる再建が待たれる中、逼簽鈔票の問題を解決し、香港ドルの信用を一刻も早く回復する必要がありました。英国政府とHSBCは最終的に逼簽鈔票の価値を認めたうえで順次回収・廃棄し、香港ひいては華南地域における通貨への信頼と地位を守ることを決めました。両者の合意により、HSBCがまず100万ポンド(1,600万香港ドル相当)を補填し、残額は外貨基金の収益から立て替えて補填することになりました。この逼簽鈔票問題の解決は、通貨発行と金融管理における香港ドルの地域的な主導的地位を確立するとともに、HSBCを香港ドルの代名詞にしたのです。

1950-1967

拡大

1950年代、HSBCは世界各地で他行の買収を進めました。1965年の恒生銀行(ハンセン銀行)買収もそのひとつで、今日HSBCと恒生銀行が共通のATMネットワークを利用しているのはそのためです。

1967年、HSBCは香港本部に初のコンピュータ「IBM360」を導入しました。これにより銀行の業務のあり方は一変し、顧客はどの支店でも銀行手続きができるようになりました。

HSBC

1986年、英国の著名建築家ノーマン・フォスター(Norman Foster)の設計による新しいHSBC本店ビルが完成しました。これが現在も中環(セントラル)に建つHSBC本店ビル(HSBC Main Building)で、のちに香港のランドマークとなり、香港を紹介する数多くの観光写真やニュース映像にも登場しています。

香港返還前、一般市民に知られていたHSBCの英語名は「Hong Kong Bank」または「Hong Kong and Shanghai Banking Corporation」でした。

返還後の1998年、HSBCグループは世界中の傘下銀行の英語ブランドを「HSBC」に統一し、香港のHSBCの英語名も「HSBC」に改められ、今日よく目にする六角形のロゴが世界共通で使われるようになりました(ただし恒生銀行は対象外です)。

資料出典 : hsbc.com

https://www.about.hsbc.com.hk/-/.../140530-hsbc-our-story_chi.pdf

ライオンの物語

香港HSBC本店の正面に置かれた2頭の雄のブロンズライオンは、もともと上海のHSBCビル正面の2頭のブロンズライオンを模して鋳造された装飾です。この一対のライオンは日中戦争(抗日戦争)の際に持ち去られて大阪へ送られ、あわや軍事物資として鋳つぶされるところでした。戦後の1946年に取り戻されて香港へ運ばれ、HSBCに返還されました。1980年代のHSBC本店建て替えの際には皇后像広場(スタチュー・スクエア)に一時移され、1985年に新本店ビルが完成すると元の場所へ戻りました。2020年10月下旬には、同年初めに受けた損傷の第一段階の修復を終え、再び一般公開されています。

2頭のうち、左側で口を開けて吼えているのがスティーブン(Stephen)、右側の口を閉じているのがスティット(Stitt)で、その名はHSBCの著名な上級幹部2名(Alexander G Stephen & Gordon H Stitt)の姓に由来します。本店正面に据えられたこの一対のHSBCライオン(HSBC Lions)は、「ライオンはHSBCを守るだけでなく、この街をも守っている」というブランドイメージを高めてきました。HSBCライオンは同行が発行する香港ドル紙幣にも描かれ、クレジットカードやキャッシュカードのデザインにも用いられています。

HSBCの歴史展示

HSBCの歴史に触れてみたい方は、中環のHSBC本店ビル1階(地上階)を訪ね、ブロンズライオンの実物を目にするとともに、HSBCの歴史を紹介するパネル展示を見学することができます。フロアには各時代のHSBCビルの位置も示されており、中環の海岸線が沖へと埋め立て拡張されてきた様子も知ることができます。

場所:中環 皇后大道中1号 HSBC本店ビル 地上階
開放時間:24時間

Source:

https://www.hsbc.com/who-we-are/our-history/history-timeline

https://www.hkma.gov.hk/chi/key-functions/money/hong-kong-currency/money-past-and-present/history-of-note-issuing-banks-in-hong-kong/

https://history.hsbc.com/collections

https://www.about.hsbc.com.hk/zh-hk/hsbc-in-hong-kong

hk01 【滙豐獅子】細說獅語 鎮守總行逾80年被破壞 二戰時險被熔 2020-01-02

滙聚豐采150年 HSBC出版

《滙豐集團 今昔史話》

香港金融管理局(HKMA)資訊中心展覧ホール

《點石成金: 打造香港金融中心的里程碑》

國際香港本傳 https://www.youtube.com/watch?v=T2KrfT7UjZc&t=0s

滙豐銀行總部 https://www.etnet.com.hk/mobile/tc/lifestyle/archive/timetraveller/71440

https://www.etnet.com.hk/www/tc/diva/art/feature/29104

https://www.facebook.com/tsewaii/posts/2895811157372116/

https://www.dezeen.com/2019/11/27/norman-foster-hsbc-building-hong-kong-bank/

Published in Aug and Updated in Dec 2020 by Hong Kong Brand Museum 香港品牌博物館

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品牌博物館 017・HSBC館|香港最古参ブランドのひとつ — 銅のライオンが見守る150年2023-12-14