
オーシャンパーク館
香港オーシャンパーク(香港海洋公園)
香港の人々はかつて、力を合わせて素晴らしいことを成し遂げました。黄竹坑(ウォンチュッカン)の「タツノオトシゴ公園(海馬公園)」を、
アジア屈指のテーマパークへと変身させたのです。「香港オーシャンパーク(香港海洋公園、Ocean Park)」は1977年の営業開始以来、香港の幾世代もの人々の集合的記憶となり、多くのローカル文化を生み出してきました。このブランドは幾度もの経営危機を経験し、香港の発展と同じように、数多くの浮き沈みに直面してきました。オーシャンパークは香港の人々とともに成長しただけでなく、かつてきわめて香港らしかった国際ブランドが、いかに栄枯盛衰を経てきたかの証人でもあります。
かつて世界の心を動かした 香港生まれのブランド

世界を動かす、その始まりは地元から
1977
過去数十年、香港には数多くの遊園地が登場しました。今は消えてしまった荔園(ライユン)、タイガーバームガーデン(虎豹別墅)、啓徳遊楽場、北角(ノースポイント)の名園、大囲(タイワイ)の歓楽城/青龍水上楽園などです。これらの遊園地は、異なる時代に育った香港の人々のさまざまな思い出を担ってきました。
そのなかで世界級のテーマパークになり得たのは、オーシャンパークだけと言ってよいでしょう。
1977年、香港ジョッキークラブ(賽馬會)の資金援助と政府の無償用地提供により、「香港オーシャンパーク」が正式に設立されました。創設当初は1億5,000万香港ドルを投じて海に臨む大型の「水族館」を建設し、当時の見どころはわずか12か所でした。
香港返還後、オーシャンパークは施設の老朽化により旅行者から敬遠された時期もありました。2003年に香港はSARS(沙士)に見舞われ、さらに2005年に開園したディズニーランドとの競争にも直面しましたが、当時のオーシャンパークは優れた事業戦略とブランド戦略によって11年連続黒字という好成績を収め、香港の人々の心を取り戻すことに成功し、最も愛される香港ブランドの一つとなりました。
その後、園は中国本土の旅行開放政策のもとで大量の本土からの観光客を迎え、入場者数は一時新たなピークに達しましたが、同時に、もともと「香港らしさ」にあふれていたテーマパークは次第に色あせていきました。2019年の逃亡犯条例改正反対運動(反修例運動)と2020年の新型コロナウイルス感染症の流行により、園は休園を余儀なくされ、さらに園の経営陣に対する政府の影響力も加わって、ブランドはかつてない深刻な危機に直面しています。
一つの公園から
一つのブランドへ
去玩 去癲 嚟 Ocean Park(「遊びに、はじけに、オーシャンパークへおいで」の意の広東語スローガン)
1984年、オーシャンパークは「去玩去癲 嚟 Ocean Park」の時代に入ります。1982~84年に完成した第2期開発工事により、大樹湾(タイシューワン)の各種遊戯施設と山上のライド型アトラクションが稼働しました。1984年からオーシャンパークはテレビCMを放送し、園のウォーターパークやライド型アトラクションを紹介しました。当時のCMはいずれも、誰もが口ずさめるあのCMソングに乗せて作られていました。
1987年、オーシャンパークはジョッキークラブから独立し、独立採算の非営利機関となりました。持続的な発展のためには、園はもはや単なる「水族館」ではなく、観光とエンターテインメントの名所にならねばならず、ここからオーシャンパークがブランドを築く時代が始まりました。園は魅力を高めるため、集古村(中国の歴史をテーマにしたエリア「ミドル・キングダム」)、サメ館、さらに多くのライド型アトラクションを次々と開設し、ほぼ毎年新しい施設をオープンさせました。
1989年、オーシャンパークは初めて入場者数200万人を記録しました。90年代初頭に集古村やサメ館、より多くのライド型アトラクションが開業すると、入場者数はさらに伸びました。


最初の閉園危機
アラン・ゼマン(盛智文)の時代
2004年、政府は「ランカイフォン(蘭桂坊)の父」と呼ばれるアラン・ゼマン(盛智文、Allan Zeman)を香港オーシャンパーク理事会主席に任命しました。彼は「廣告101」のインタビューでこう振り返っています。「2004年頃、オーシャンパークは上から下まで不安と悲観に包まれていました。ランタオ島(大嶼山)ではディズニーランドが建設中で、園は施設の老朽化と長年の赤字という状況に直面していました。当時は先行きがまったく不透明で、新しく任命された広告代理店までもがオーシャンパークを『クビにして』『ミッキーマウス』側へ乗り換えたほどです。従業員はみな閉園を恐れており、香港政府はまさに、オーシャンパークの営業を続けるべきか、閉めてしまうべきかを決めようとしていました。」
当時はさまざまな案がありました。オーシャンパークは山に沿って建てられているため、園全体の移転を提案する人もいました。しかし当時の園のチームは、この地理的な欠点こそがむしろ長所であると考えました。来園者は美しい海と山の景色を楽しむことができ、ロープウェイ(纜車)も大きな特色となっているからです。
当時の経営危機を解決するため、園は55億5,000万香港ドルの「Master Redevelopment Plan(MRP、再開発マスタープラン)」によってオーシャンパークを見事に再生させ、この大規模な再建計画により、オーシャンパークは「タツノオトシゴ公園」から世界級のテーマパークへと生まれ変わりました。
なお、黄竹坑の山肌に今もそびえ立つ旧オーシャンパークの「タツノオトシゴ(海馬)」マークはといえば、実はSARS以前の2000年に、すでにマスコットのアシカ「ウィスカーズ(威威獅令)」へと交代していました。
香港人の
オーシャンパーク
2003年のSARSの際、園は「無料でも誰も来ない」状態に陥りました。2003年から2014年にかけて、オーシャンパークは一連の改革工事に着手し、「Culturally Relevant(文化との深い結びつき)」の実現に成功して、香港人のオーシャンパークとなりました。10年の変革期にオーシャンパークが旅行者の支持を勝ち得たのは、それが「香港製造(メイド・イン・ホンコン)」だったからです。
オーシャンパークが当時、香港の人々に最も愛されるブランドとなったのは、文化と分かちがたく結びついた一連のローカル・プロモーション活動を展開し、動物の保護と教育の普及に積極的に取り組んだからです。オーシャンパークは、とても若々しく創造性に富んだブランドとなりました。
重要な成果として必ず挙げられるのは、ハロウィーン文化を香港中に広めたことです。オーシャンパークの「十月全城哈囉喂(ハロウィーン・バッシュ)」は、世界最大級のハロウィーン・イベントの一つにまでなりました。「哈囉喂(ハーローワイ)」はやがて街じゅうの話題となり、規模も年々拡大して、オーシャンパークの毎年の一大行事となったのです。
長年にわたり、オーシャンパークはハロウィーンのローカライズに成功してきました。催しの魅力を高めるために意識的に多くのローカル要素を取り入れ、やがて「哈囉喂」は香港のローカル文化とハロウィーン文化の融合を成し遂げました。テーマこそ外国のハロウィーンですが、お化け屋敷の演出は数多くの香港の文化的シンボル、歴史、怪談、そして香港人の共通体験から題材を取っており、参加する地元の来園者はみな夢中になって楽しみました。「哈囉喂」は、香港色豊かなハロウィーン文化を作り上げることに成功したのです。
オーシャンパークの改革は2012年、世界の業界が認める最高の栄誉である「Applause Award(アプローズ・アワード)」世界最優秀テーマパーク大賞をもたらしました。この賞の審査団は国際的なテーマパーク・遊園地業界の専門家によって構成されており、香港オーシャンパークは長年の努力の末に世界の承認を勝ち取り、多くの香港人もそれを誇りに感じました。


香港人が変わった?
頂点を極めた後の2014年6月、政府は突如、アラン・ゼマンをオーシャンパーク理事会主席に再任しないと発表し、副主席の孔令成(レオ・クン、Leo Kung)が後任に就きました。2020年には、政府はチャイニーズ・エステーツ(華人置業集団)の劉鳴煒(ラウ・ミンワイ、Lau Ming-wai)を主席に任命しました。
2016年にはMTR南港島線の海洋公園(オーシャンパーク)駅が開業しました。しかし入場者数は2014年から下がり続けました。MTRでオーシャンパークへ行く香港人の増加は、観光バスで訪れる中国本土からの旅行者の減少にはるかに及ばない、と論評は指摘しており、赤字が続く状況となりました。
同じ頃、中国本土からの旅行者に依存する戦略は、もともと「香港らしさ」にあふれていたテーマパークを次第に色あせさせていきました。2019年の逃亡犯条例改正反対運動の間、オーシャンパークの「哈囉喂」は論争に巻き込まれ、最終的に10月31日の「哈囉喂全園祭」の開催は中止されました。これ以降、長年愛してきたこの香港ブランドに対する香港の人々の見方は変わってしまいました。
名前はそのまま
中身は解体?
2020年から始まった新型コロナウイルス感染症の流行は観光業に打撃を与え、ブランドは史上最も深刻な閉園の危機に直面しました。
2021年初め、政府は記者発表を行い、オーシャンパークが転換のための大改革を行うと宣言しました。主席の劉鳴煒は、オーシャンパークはもはやテーマパークではなくなり、教育と保全の仕事に専念することを明言しました。
計画が発表されると、世論には少なからぬ嘆きの声が上がりました。かつて香港人の誇りであり、国際的に数々の賞を受けてきた香港のテーマパーク・ブランドが、発展計画のなかでほとんど切り捨てられたのです。
政府の記者会見の資料からさえ、オーシャンパークのブランドを象徴するロゴは外されていました。「海洋公園(オーシャンパーク)」という名前が消えてしまう前に、かつて世界最高と認められたこのテーマパークは、すでに香港の人々が懐かしむ集合的記憶となっているのです。
資料出典:
《愛上香港 – 海洋公園品牌策略與marketing策劃》 (2012)吳博林
【海洋公園危機】海洋公園曾連續11年賺錢 盛智文是如何做到? (2020)經濟日報 2020/05/14
https://www.news.gov.hk/chi/2021/01/20210118/20210118_145619_963.html
https://www.thinkhk.com/article/2021-01/18/46446.html
有線新聞直播記者會 2021/01/18(i-CABLEニュースによる記者会見の生中継)
Published in Jan 2021 by Hong Kong Brand Museum 香港品牌博物館
