
香港電訊(ホンコンテレコム)館
香港電訊有限公司(Hong Kong Telecom)
植民地時代の香港では、電気通信のインフラとサービスは一貫して英国政府の統制下にありました。1980 年代に携帯電話技術が登場し、さらに 1990 年代には英国による香港返還が目前に迫って、通信業界はようやく激変の時を迎えます。競争の激しい時代、さまざまな通信ブランドが現れては消え、二転三転する買収・合併・業態転換も加わって、「香港電訊」(Hong Kong Telecom)というブランドひとつをとっても、幾度となく姿を変えてきました。
香港電訊
と
香港の電気通信史

香港の電気通信の始祖
英国大東電報局(ケーブル・アンド・ワイヤレス)
1872 年、英国の実業家ジョン・ペンダー(John Pender)は、当時海底ケーブルによる国際電報サービスを営んでいた複数の会社を合併し、Eastern Telegraph Company(中国語名「大東電報局」)を設立しました。世界初の国際電報事業会社であり、当時世界最大の事業規模を誇る会社でもありました。
しかし大東の設立より1年早い 1871 年 4 月 1 日には、香港初の海底電報ケーブルがすでに、現在の華富邨(ワーフー・エステート)付近の鋼線灣(テレグラフ・ベイ)に陸揚げされ、上海と結ばれていました。東アジア初となるこの海底電報線を敷設したのは、香港最初期の電報会社であるデンマークの大北電報局(The Great Northern Telegraph Company)です。同年 6 月 14 日午前 9 時 45 分、香港総督はロンドンから届いた最初の電報を受け取りました。
一方、香港域内で最初の電報線は怡和洋行(ジャーディン・マセソン)が敷設したもので、銅鑼灣(コーズウェイベイ)東角の本店と中環(セントラル)の支店を結んでいました。
1901 年、イタリアの技師マルコーニが無線による通信に成功します。1929 年、大東電報局(Eastern Telegraph Company)は Marconi’s Wireless Company と合併して Imperial and International Communications と改称し、1934 年には Cable & Wireless と名を改めて、現在に至ります。
その間も中国語名はずっと変わらぬままでした。「大東電報局」は英国政府の主導の下、百年余りにわたって香港の電気通信の発展を支配してきたのです。
電話の時代
香港電話 & 大東電報局
香港の人々が電話サービスを使えるようになったのは 1882 年のことで、当時は Oriental Telephone & Electric Company が運営していました。中環は極東で最も早く電話サービスが使われた土地となり、利用者の中心は株式仲買商でした。政府や怡和などの企業グループと関係の深かったポール・チャーター(Paul Chater、遮打)も、最初期の電話利用者の一人だったと伝えられています。
1925 年、「香港電話公司」(Hong Kong Telephone Company)が、China and Japan Telephone and Electric Company と改称していた Oriental Telephone & Electric Company を買収し、専営権(フランチャイズ)に基づく香港市内電話サービスの経営を開始して、当時香港唯一の電話会社となりました。
こうして香港の市内電話サービスは「香港電話公司」の独占となり、ほかの電話会社が現れたのは 1995 年になってからでした。
一方、香港と海外を結ぶ通信は、1936 年から「英国大東電報局」が引き継ぎました。政府が 1962 年に正式な専営権を付与したため、当時の市民が外国へ電報を打ったり長距離電話をかけたりするには、どのみち大東電報局へ行くほかなかったのです。


香港電話と CSL
香港大東による香港電話の買収
1981 年、大東は再編を行い、香港で「大東電報局(香港)有限公司」として正式に登記されました。筆頭株主は英国政府です。1983 年、香港大東電報局は怡和傘下の置地(ホンコンランド)から「香港電話公司」を買収し、以後、香港の対内・対外の通信サービスはすべて大東が一手に担うことになりました。
しかし 1980 年代はまさに携帯電話の黎明期であり、政府は移動通信事業をもはや大東の独占経営には委ねませんでした。
1984 年、香港電話公司は CSL(Communication Services Limited)として移動通信サービスを開始します。同年、和記黃埔(ハチソン・ワンポア)傘下の会社が「和記傳訊」としてポケットベルと携帯電話の市場を開拓し、そのテレビ CM の数々は今なお語り草となっています。
こうして無線通信を出発点に、香港にはさまざまな通信ブランドが登場し、「大東」と「香港電話」の独占市場ではなくなりました。
巨人の誕生
香港電訊
1988 年、香港大東電報局と香港電話公司が合併し、「香港電訊」が誕生しました。
その2年後、香港電訊は再編されます。主な理由は市場開放への対応だったと分析されています。さらに香港の中国への返還が迫るなか、香港大東電報局は英国色を消すため「香港國際電訊有限公司」へと改称しました。
一方、大東傘下の非専営事業——通信機器、ビジネス通信システム、携帯電話など——は「香港電訊 CSL」が管理し、市場でほかの通信ブランドと競い合うようになって、通信業界に新たな構図が開かれました。
1995 年、政府は3社の市内固定通信網事業者に免許を交付しました。和黃の「和記通訊」、九倉(ワーフ)の「香港新電訊」(New T&T)、そして新世界發展の「新世界電話」(New World Telephone)です。「香港電訊」は、もはや唯一の固定電話会社ではなくなりました。
1995 年、香港電訊は IMS 社を設立してインタラクティブ・マルチメディアサービスを展開し、1996 年には「網上行」(Netvigator、ネットビゲーター)の名でインターネットサービスを開始しました。
この時期、香港電訊はさまざまなサービス市場で激しい競争に直面します。相手は和記電訊、城市電訊(CTI。のちの「香港寬頻」〈HKBN〉へと発展します)、數碼通(SmarTone)などでした。
1999 年、香港電訊の英文名は「Hong Kong Telecom」から「Cable & Wireless HKT」に改められました。


リチャード・リー(李澤楷)旋風
通信業界、ドットコム時代へ
電訊盈科(PCCW)
2000 年、大東は香港電訊を「盈科數碼動力」(パシフィック・センチュリー・サイバーワークス)へ売却し、同社は翌年「電訊盈科」(PCCW)と改称されました。大東(Cable & Wireless)自体は、その後も中南米で通信事業を営んでいます。
この買収は香港電訊の個人株主たちの間に激しい議論を巻き起こしただけではありません。李嘉誠(リー・カーシン、Li Ka-shing)の子息であるリチャード・リー(李澤楷)が通信業界の盟主企業を買収したことで、李嘉誠傘下の和記電訊による市場独占への懸念も呼び起こしました。
それでも、李澤楷が香港人として「SingTel」(シンガポール・テレコム)を退け、大東から香港電訊を買収してみせたことは、香港返還後には数少ない美談ともなりました。電訊盈科の誕生は同時に、香港が世界の潮流に歩調を合わせ、地場の通信業界もドットコム時代へと飛び込んだことを象徴していました。
しかし電訊盈科の成立後、世界的なドットコム・ブームは退潮し、電盈の株価は高値から9割超も下落します。安定した配当を求めてかつての「香港電訊」株を買っていた年配の株主も多く、その資産が大きく目減りしたため、社会的なニュースとなりました。
何年も経った後もさまざまな論評が現れています。なかには、当時の株主が李澤楷の父・李嘉誠の名声に酔い、電盈も長江實業(チョンコン、Cheung Kong)のようになるはずだと思い込んだことが、誤った判断につながったと指摘するものもあります。
いずれにせよ、地場の通信・ネット系ブランドはその後も百花繚乱の様相を呈し、市場開放と技術の進歩につれて、20 世紀の英国統治下の政策が香港電訊に残した独占の優位も、次第に薄れていきました。
2002 年、電盈は CSL をオーストラリアの通信会社「Telstra」(テルストラ)に売却しました。ところがその3年後には「Sunday」を買収し、「PCCW Mobile」として携帯電話サービスに再び乗り出しています。
電盈時代の
「香港電訊」
電盈の登場後、「香港電訊」の名は世間からいったん姿を消したかのようでした。2008 年、電盈は事業を再編して「PCCW-HKT」(略称 HKT、中国語名「香港電訊」)を設立し、傘下の通信事業を統括させます。そのブランドには「HKT 家居電話」(固定電話サービス)、国際電話 IDD の「0060」、「網上行」(netvigator)、「now」などがあります。
2013 年には、2002 年に売却した「CSL」を買い戻し、「PCCW-HKT」の移動通信ユーザーを「CSL」へ移管しました。また 2006 年に CSL と合併していた「新世界傳動網」は、「Sun Mobile」と改称して営業を続けています。CSL 傘下の「1010」も合わせ、香港電訊は計3つのブランドで移動通信サービスを提供しています。
しかし PCCW-HKT は傘下ブランドが多いうえ、事業ごとに異なる競争相手と向き合っており、「香港電訊」という看板は競争のなかで特段の強みにはなっていないようです。そのため、通常の宣伝でも個別のブランドが前面に立ちます。最も伝統ある固定電話サービスでさえ、電盈は英文の「HKT 家居電話」としてデザインしており、「香港電訊」の4文字は、もはや PCCW-HKT の店舗の看板に残るだけなのかもしれません。
* 香港電訊は 2011 年、ビジネス・トラスト(商業信託)の形で独立上場しました。電訊盈科は引き続き主要株主であり、傘下ブランド利用者の請求書にも、香港電訊傘下会社である旨の注記が入っています
PCCW-HKT


香港科學館の「電訊廊」(通信ギャラリー)
かつての大東時代の通信手段に触れ、ダイヤル式電話を実際に見てみたい方は、香港科學館(香港サイエンスミュージアム)2 階の「電訊廊」(通信ギャラリー)をご覧ください。詳細は https://hk.science.museum/zh_TW/web/scm/pe/telecom.html をご参照ください。また各通信ブランドも不定期に、通信技術の変遷を紹介する展示を開催しています。
香港科學館
所在地:尖沙咀(チムサーチョイ)東部 科學館道 2 號
開館時間:午前 10 時~午後 7 時(週末・祝日は午後 9 時閉館、毎週木曜休館)
入場料:20 香港ドル(毎週水曜は入場無料)
参考資料:
通訊年代 = Communication
黃慕嫻
香港 : s.n. 1997
香港企業併購經典 = Merger & acquisitions
馮邦彥編著
香港增訂版 香港 : 三聯書店香港有限公司 2017
港股經典收購戰
呂志華著
香港 : 明報出版社 1993
盈動兼併香港電訊
馮邦彥
初版 香港 : 明報出版社有限公司 2000
香港商戰風雲錄
藍潮著
初版 香港 : 名流出版社 1997
香港志. 第一冊, 總述, 大事記
香港地方志中心
香港 : 中華書局香港有限公司 2020
https://tel_archives.ofca.gov.hk/zh/telecom_fact/milestones/main.html [アーカイブ]
https://hkt.com/about-hkt/company-profile/milestones?locale=zh
https://www.cwc.com/live/past-present/our-history.html
https://www.sunmobile.com.hk/notification.jhtml
https://i.shop.pccw.com/ [アーカイブ]
香港歷史博物館「香港故事」
Published in Oct 2020 by Hong Kong Brand Museum 香港品牌博物館