
奇華餅家館
奇華餅家有限公司(Kee Wah Bakery)
「奇華餅家」(Kee Wah Bakery)の前身は、1938年に油麻地(ヤウマーテイ)の上海街で開業した家族経営の「士多」(シードー、英語の store に由来する小さな雑貨店)でした。1950年代からは、正月や中秋節などの節句、婚礼の礼餅、手土産や贈答品といったあらゆる場面に、「唐餅」(トンベン、中国式伝統菓子)の姿がありました。伝統菓子が香港の人々の成長と時代の移り変わりに寄り添ってきた背景には、一枚の雞仔餅(ガイチャイベン、小ぶりの焼き菓子)や光酥餅(グォンソウベン、素朴な焼き菓子)だけでなく、菓子店の人々の菓子づくりへの愛情と、伝統の技へのこだわりと信念があり、それが地元香港の唐餅業を長く衰えさせずに支えてきたのです。

香港が受け継ぐ
中華の伝統
中国式の菓子店は、香港に欠かせない風景です。かつての香港には、士多、雑貨店、米屋、パン屋、豆腐・豆乳店(荳品店)など、家族経営の大小さまざまな商店があふれていました。中国式の糕餅(菓子)店は、香港経済が飛躍する以前の重要な産業のひとつであり、値段が手頃で腹持ちもよいことから、唐餅は市民に広く親しまれていました。
香港の唐餅業の発展は、数多くの心を打つ家族の物語を織りなしてきました。菓子店の多くは家族経営で、店の前を売り場に、奥を住まいにする「前舖後居」の形で生計を立てていました。また、家で菓子をつくって路上で売る人も少なくありませんでした。香港の「菓子職人」は各地から集まり、広東式、潮州式、北京式など、さまざまな風味の菓子の看板が至るところに見られ、唐餅業の輝かしい時代を築き上げたのです。
21世紀に入っても、各地区には老舗菓子店の面影が残っています。ミシュランに選ばれた旺角(モンコック)の「奇趣餅家」、深水埗(サムスイポー)地区の「生隆餅家」や「八仙餅家」などがその例で、こうした古い街を歩けば、道すがら菓子を焼く油の香ばしい匂いが漂ってきます。人の行き交う通りには白地に赤い文字の菓子店の看板が交じり、床には緑と白の模様の陶製タイルが敷かれ、店の中央には大きな天井扇と小さな電球がいくつも吊るされ、菓子の盆の前には手書きの値札が掛かっています。こうした風景は、いまの香港ではもう珍しくなりました。
ときおり、店主が「新鮮出爐嘅雞仔餅呀!」(焼きたての雞仔餅だよ!)と親しげに声をかけながら、厨房から湯気の立つ唐餅を大きな盆いっぱいに運んできます。ご近所の常連たちは、その時間をちゃんと見計らって、どっと押し寄せるのです。合桃酥(クルミの焼き菓子)や老婆餅(ロウポーベン)などはあっという間に売り切れ、客と店主が交わす何気ないおしゃべりと気遣いが、昔ながらの菓子店の日常の暮らしでした。
菓子店が売っていたのは、「令立立」(レンラップラップ、つやつや)とした美味しい唐餅だけではありません。地域の人情と、古き香港のひと世代の記憶もまた、そこにあったのです。
余った食材が
国際ブランドの原点に
第二次世界大戦中、香港が日本軍の占領下にあった時期、油麻地・上海街の小さな菓子雑貨店では物資が乏しく、店の使用人が余った食材で菓子をつくって売ることを提案しました。寝台の板を作業台に、大きな鉄の缶をオーブン代わりにして、わずかな材料から素朴な杏仁餅(アーモンドクッキー)や光酥餅をつくって売り出したのです。「奇華」はこうした苦難のなかで、菓子雑貨店から少しずつ餅家(菓子店)へと転身していきました。
戦後、「奇華餅家」は上海街に工場を併設した店舗を構えましたが、他の多くの唐餅店と同じく家族経営を続け、家族という核心的な価値を大切にしながら、菓子を通じて家族や友人を結びつけ、英国統治下の香港で中華の伝統を受け継いでいきました。
どの唐餅店の背後にも、一枚の雞仔餅や光酥餅のなかに、香港の人々の菓子への愛情だけでなく、菓子店の人々の伝統の技へのこだわりと信念が息づいています。それこそが、社会の発展や外来文化との競争に直面しても香港の唐餅業に強い生命力を与え、商いを長く続かせ、さらには世界へと羽ばたかせた力なのです。

西洋菓子にも奪えなかった「老餅」(昔ながらの菓子)
1960年代、香港経済が飛躍を始めると、西洋菓子の店やカフェが次々と現れ、一時の流行にもなりました。「美心」(Maxim’s)は1964年と1966年に尖沙咀(チムサーチョイ)で美心ベーカリーと美心コーヒーショップを相次いで開き、西洋菓子(西餅)を販売して、当時の社会の中・上流層に広く歓迎されました。これがのちの「美心西餅」の原型です。
当時の香港の人々にとって「西餅」は新しいものでした。西洋菓子は繊細で凝った意匠と多彩に変化する味わいが持ち味で、ときには旬の果物を使ったケーキに生クリームのデコレーションを施すなど、バターと小麦粉を発酵させてつくる伝統的な唐餅とは大きく異なっていました。
西洋菓子の華やかで変化に富んだ魅力の前に、中国式の菓子店はおおむね「古くさい」というレッテルを貼られ、市場では年配の世代に支えられるばかりで、若い人々の支持を得るのは難しくなりました。1980年代、「美心西餅」は地下鉄(地鐵)沿線の各駅に出店し、駅構内の美心の店舗は33店、各地区の支店を合わせると70店に達して、当時の香港で最も店舗数の多いパン・洋菓子店となりました。西洋菓子店の隆盛は、小資本で営む多くの唐餅店を苦境に立たせました。こうした小さな店は、菓子の品揃えでも、経営資源でも、店の規模でも「美心」に太刀打ちできず、さらに旧市街の再開発や家賃の重圧などの問題も重なって、伝統的な菓子店は一軒また一軒と店を閉じ、唐餅づくりはしだいに斜陽産業となっていったのです。


香港人の
中秋の記憶
毎年の中秋節は、香港の人々の集団的記憶を織りなしてきました。どの家庭も思い思いの節句の食べものを用意し、中秋の当日は多くの勤め人が早めに退社できるため、全香港が大渋滞になるほど皆が家路を急ぎます。街は提灯であふれ、家族そろって満月の下で月を愛で、「煲臘」(ボウラップ、月夜に蝋を煮て遊ぶ風習)に興じる——一家がそろい、円満に集うひとときです。
前世紀には、毎年中秋が近づくと月餅の需要が大きく膨らみました。家族や友人のために取っておくだけでなく、上司や親戚への贈り物にもするため、月餅の出費はかさみます。そこで生まれたのが「月餅會」です。月餅會とは、毎月の分割払いで月餅を予約購入するしくみのこと。1950年代、奇華は市場で初めての月餅會を売り出し、毎月菓子店へ通って「月餅會の掛け金を納める」ことがひとつの習慣になりました。1970年代は月餅會の最盛期で、奇華は最盛期には年間1万口を超える月餅會を売り上げました。今日でも月餅會を続けている菓子店には、毎年数千件の注文が届きます。こうした昔ながらの月餅を買い、贈る文化が、その伝統的な意義と歴史的価値を示すものとして、これからも受け継がれていくことが願われています。
今日、慌ただしい大都会では、伝統的な節句はかつての濃密な雰囲気を失い、人々が伝統行事に寄せる思いも相対的に薄れ、伝統的な月餅も誰もが好むものではなくなりました。西洋菓子店も月餅市場に参入し、なかでも「大班麵包西餅」(Taipan Bread & Cakes)は「冰皮月餅」(ビンペイ月餅、焼かずに冷やしていただく月餅)を新たに開発し、数年のうちに市民に広く愛されるようになりました。その後、多くの中国式・西洋式菓子店やアイスクリームブランドも、アイスクリーム月餅、楊枝甘露(マンゴーとポメロのデザート)月餅、チョコレートクッキー月餅など新しい味の月餅を売り出し、市民の選択肢はさらに広がっています。

一枚の紙袋が
唐餅店を変えた
西洋菓子からのかつてない挑戦を前に、1990年代、当時の奇華の舵取り役だった黃賜祥氏は、一枚の紙袋から伝統的な唐餅店の経営を変えるヒントを得て、伝統の技に革新的なブランドイメージを融合させました。
そのいきさつはこうです。当時、黃賜祥氏は中環(セントラル)の置地廣場(ザ・ランドマーク)で、おしゃれな身なりの女性が、菓子店の元の紙袋を使わず、ファッションブランドの紙袋に奇華の月餅を2つ入れて持ち歩いているのを目にしました。当時の奇華の包装はやや古風で、菓子は紙箱に収められ、箱には嫦娥(じょうが、月の女神)の美人画が中国式庭園を背景に描かれ、竹の持ち手が付いた紙袋が添えられるという、いかにも「中国風」の濃いものでした。この旧式のデザインは、もはや時代に合わなくなっていたのです。
1995年、奇華は新しいロゴ、商品パッケージ、店舗デザイン、そして従業員の制服まで一新して、伝統的な唐餅店のイメージを大きく塗り替えました。そしてブランドづくりの手法によって、伝統と現代を融合させた商品を数多く開発し、菓子をより現代的で洗練された、堂々とした姿で市場へ送り出したのです。
香港の人々の食文化が健康志向を強めるにつれ、油と砂糖をふんだんに使う伝統の唐餅や、糖分もコレステロールも高い双黄蓮蓉月餅(塩漬け卵黄2個入りの蓮の実餡月餅)などは、多くの人を尻込みさせるようになりました。奇華も市場の需要の変化に目を配り、中国式の菓子が激しい市場競争のなかで一席を保てるよう、低糖・高食物繊維の商品を数多く売り出しました。伝統的な菓子店も、市場に後押しされる形で健康的な食の潮流に追いついたのです。
香港についに「手信」(手土産)が誕生
香港の人々は海外旅行のとき、香港へ「手信」(サウソン、手土産)を買って帰るのが大好きです。では、海外の親戚や友人を訪ねるときには、どんな手土産を持っていくのでしょうか。茶葉、ドライフルーツ、それとも燕麥糕(オートミールの蒸し菓子)、老婆餅、エッグロールのような伝統的なお菓子でしょうか。20世紀の香港には、手土産をコンセプトにした商品を出す大きなブランドは見当たりませんでした。奇華は2000年代、「香港終於有手信」(香港にもついに手土産ができた)という宣伝コピーとともに、伝統的な菓子店の商品を手土産のギフトボックスに仕立て、香港の人々や旅行者が香港の伝統菓子を世界中へ持っていけるようにしたのです。
奇華は香港の漫画家・阿虫(アチョン、Ah Chung)と協業し、地元の含蓄ある言葉を商品パッケージにあしらいました。たとえば「海洋公園」(オーシャンパーク)とのコラボレーションによるパンダクッキーのギフト缶には、「眼裡有黑白 心中無是非」(目には黒と白があっても、心にいさかいはない)という言葉が添えられ、香港の人々は見れば思わず微笑んだものです。奇華はまた「天星小輪」(スターフェリー)などの香港ブランドとも協業し、「香港心」「香港情」といったテーマのもと、商品パッケージを通じて香港への想いを発信しました。
その後、手土産市場は一躍脚光を浴びるようになり、香港らしさに富んだ多くのブランドが同種の商品を売り出しました。「住好啲 Goods of Desire」の商品に強い印象を持つ香港の人は多く、同ブランドは2020年、感染症の流行を受けて、バウヒニア(洋紫荊)と広東語の月曜日から日曜日までの言葉をあしらったマスクをデザインし、香港らしさを存分に見せました。また「手信」商品を手がける多くのブランドが空港に店舗を構えています。海外からの旅行者に便利なだけでなく、香港の人々もまた、香港手土産の店をのぞくのが好きなのです。


奇華餅家の歴史をめぐる旅
奇華餅家の伝統の味を感じたいなら、店舗で商品を買うだけでなく、湾仔(ワンチャイ)の三級歴史建築(グレードIIIの歴史的建築物)に構えられた奇華の旗艦店を訪ねるのもよいでしょう。
近年、歴史的建築物の再活用は社会の関心を集める議題であり、建物を保存すると同時に、それを生かして使うことも求められています。奇華の旗艦店に足を踏み入れ、回廊を歩けば、壁には菓子店の白黒の古い写真が掛けられ、往時の暮らしぶりを伝えています。店内のミニチュアアートの模型は、まるで小さな博物館の展示のようです。
奇華ではまた、中国式菓子のつくり方を紹介するさまざまなワークショップを不定期に開いており、親子クラスも設けられています。保護者が中国菓子の味わいを知り、愛でながら、唐餅の文化を次の世代へ受け継いでいけるようにという趣旨です。
ワークショップ:https://studio.keewah.com/frontend/web/index.php
資料出典:
蘇慧心, 陳藹欣 (2004)一個名牌的誕生,明窗出版社有限公司,初版
鄭宏泰、高皓(2016)《創業垂統——華人家族企業發展特質與思考》
https://keewah.com/hk/brand-story
【名人專訪】奇華第二代掌舵人黃錫祥 因一個紙袋接手家業
https://inews.hket.com/article/2718232/【名人專訪】奇華第二代掌舵人黃錫祥%E3%80%80因一個紙袋接手家業
【香港製造】月餅都有分期付款?奇華第三代:50年代人人爭住供 (2018) https://bit.ly/3qWmliW
【回歸廿年】奇華:不甘心香港無手信 沙士期間生意反而更好 (2017)
http://www.etnet.com.hk/www/tc/news/topic_news_detail.php?category=hksar20&newsid=7449
懷舊餅舖草根食堂 (2016) http://archive.am730.com.hk/article-314005
Published in Jan 2021 by Hong Kong Brand Museum 香港品牌博物館