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スターフェリー館

スターフェリー社(天星小輪有限公司)

フェリーがヴィクトリア・ハーバーの海面をゆっくりと進み、波は絶え間なく船体を打ち、白いしぶきを幾重にも上げます。船上は観光客の笑い声に満ち、海風がそっと頬を撫でて、長い髪を乱していきます……。輝かしい時代にはすでに別れを告げたとはいえ、スターフェリー(天星小輪、Star Ferry)の姿は今も昔のままです。世代を超えて香港の人々の地元の記憶を乗せてきたスターフェリーは、長年にわたり香港島と九龍を結ぶ重要な渡海交通機関であり、『ナショナル ジオグラフィック トラベラー』誌の「人生で必ず訪れるべき50の場所」の一つにも選ばれました。その名声は決して誇張ではなく、香港の人々にとっての意義もきわめて大きいものです。

香港の歴史的変遷を

最もよく映す存在

パン職人が見出した商機

スターフェリーの歴史は、香港開港初期にまで遡ります。1880年、ペルシャ出身のパン職人ミタイワラ(Dorabjee Naorojee Mithaiwala)が「九龍渡海小輪公司(九龍フェリー会社)」を設立し、蒸気船「曉星(モーニングスター)」でヴィクトリア・ハーバー両岸を結ぶフェリー航路を開設しました。当時の新聞記事によれば、フェリーは40分から1時間おきに出航し、いずれも中環(セントラル)のペダー・ストリートと尖沙咀(チムサーチョイ)の九龍角の間を往復していました。当時の世間では、香港島と九龍の住民は「一生互いに行き来しない」とまで言われていましたが、それはもちろん交通が未発達だったためです。渡海フェリーの登場は、まさにこの状況を打ち破りました。同フェリー会社の石炭焚き単層船5隻が、こうして香港島と九龍の両岸を結ぶ航海を始めたのです。

その後の10年間で、政府と関係の深いアルメニア系商人ポール・チャター(Paul Chater)卿と、彼が創設に関わった九龍倉(後のワーフ・ホールディングス)がすべてのフェリーを買収し、1898年にスターフェリー社を設立しました。社名は、傘下の船の名前にいずれも「星」の字が入っていたことに由来します。まもなくこれらのフェリーには上層客室が増設され、私たちのよく知る第4世代フェリーの設計に少しずつ近づいていきました。

スターフェリー:

海を渡るだけでも一等船室?

100年を超える歴史を持つスターフェリーの船隊は、いずれも伝統的な双頭式(両方向運航型)の設計を採用し、船体の色は白と緑です。この象徴的な白と緑はそれぞれ天と海を表し、「上は天、下は海」という意味が込められています。天と海がひとつになる姿は、スターフェリーが両者を結び、ヴィクトリア・ハーバー両岸の景色と調和して共存することをも象徴し、ヴィクトリア・ハーバーにおけるその重要な役割を際立たせています。船の屋根の煙突には4つの星が飾られています。船室内の煙突部分はすでに撤去され、外に露出した煙突は現在では装飾としてのみ残され、伝統的なスターフェリーの船の設計を保っています。

今日のスターフェリーに船室の等級はありませんが、20世紀初頭の香港は階級意識がはっきりしていたため、当時のスターフェリーは人種によって船室の等級を分けていました。当時、中国人は一等船室に乗ることができず、外国人だけが乗れたのです。第二次世界大戦後には社会の考え方がやや変わり、貧富による区分となりました。そのため後には、切符を買うお金があり、身なりさえ整っていれば、一等船室に乗れるようになりました。

一方、当時の三等船室には座席がなく、仕事帰りの時間帯になると、船室はまるで「大笪地(ダイダッデイ、かつての露天夜市広場)」のようになりました。絵を描く人、歌や芸を披露する人、品物を売る人、さらには牛雜(ンガウザップ、牛モツの煮込み)を売る人までいたのです。こうした古き香港の下町の風情、庶民ならではの情景は、今日のフェリーの上ではもう見られません。

スターフェリー埠頭:香港人の集合的記憶

スターフェリーが「尖沙咀―中環」を行き来するゴールデン航路は、100年余りの間変わっていないように見えます。しかし実際には、ヴィクトリア・ハーバー両岸のスターフェリー埠頭の位置は、海岸線の変化に伴って幾度も移り変わってきました。最初の中環スターフェリー埠頭は、干諾道中(コノート・ロード・セントラル)の雪廠街(アイスハウス・ストリート)付近、すなわち現在のジャーディン・ハウス前、干諾道中の車両用地下道のあたりにありました。当時の埠頭は、粗末な茅葺きで建てられただけのものでした。

1957年、中環スターフェリー埠頭はエディンバラ・プレイス(愛丁堡廣場)に移転し、当時のクイーンズ・ピア(皇后碼頭)に隣接して、2006年末に現在の中環7号埠頭へ移るまで使われました。エディンバラ・プレイスのスターフェリー埠頭は50年近く運営され、香港の最も重要な歴史の時代をいくつも見届けて、今日多くの香港人の集合的記憶となっています。

埠頭のそばの時計塔は半世紀近くにわたり、市民が聞き慣れた時報の鐘の音を毎日響かせ、埠頭の外の人力車とあわせて香港の観光名所の一つとなりました。この時計塔の機械式の銅鐘は、実はロンドンのビッグ・ベンと同じメーカーの製品です。

尖沙咀のスターフェリー埠頭の変遷は、中環ほど多くありません。1898年、九龍倉はスターフェリー社を設立した2日後に、九龍倉の正門前の埠頭をスターフェリーの独占使用に供しました。1906年には新築のスターフェリー埠頭が使用を開始しました。その場所は現在のオーシャンターミナル(海運大廈)付近で、当時は九龍角(Kowloon Point)と呼ばれていました。

1910年、スターフェリーは、九広鉄道(KCR)のターミナル駅の開業を控えて政府が競売にかけた埠頭用地を落札しました。これが現在の尖沙咀スターフェリー埠頭の場所です。埠頭は1957年、エディンバラ・プレイスの新埠頭の完成に合わせて、同じ2層式の設計で建て替えられ、今日まで使われています。エディンバラ・プレイスの埠頭が取り壊されたとき、香港の人々は記憶の半分を、ヴィクトリア・ハーバーの対岸になお残していたのです。

5セントが引き起こした

「斗零騒動」

スターフェリーは観光名所であるだけでなく、かつては香港の人々の生活の重要な一部でもあり、そのために政治的な騒動にも巻き込まれました。1966年4月、スターフェリーが一等運賃をそれまでの2角(20セント)から5セント値上げしたことが、市民の激しい抗議を引き起こしました。当時の5セントは朝食1回分の値段の3分の1に相当し、値上げ幅がかなり大きかったため、市民の反発は広範なものとなりました。

青年の蘇守忠(ソウ・サウチョン、So Sau-chung)はこれに抗議してハンガーストライキを行い、事件は九龍地区の騒乱と暴動へと発展、紅磡(ホンハム)のフェリー運航が一時中断に追い込まれるまでになりました。5セント硬貨は当時「斗零(ダウリン)」とも呼ばれていたため、この事件は俗に「斗零騒動」と呼ばれています。

1970年代にクロスハーバートンネル(海底隧道)が完成し、トンネル経由のバスが運行を始め、海底を渡る地下鉄(現在のMTR)も開通すると、渡海フェリーは騒動の火種から、サービス縮小を迫られる公共交通機関へと変わりました。スターフェリー社は乗客の減少に直面し、コスト削減のため減便せざるを得ませんでしたが、それがまた悪循環を生み、本数の少なさから乗客はさらに他の交通機関へと流れていきました。

孤島であり、

世界に名を馳せる名所でもある

フェリー存続の危機に対して、政府は都市計画の面で救いの手を差し伸べたとは言いがたい状況でした。香港の運輸政策の柱は「鉄道を骨幹とする」ことであり、フェリーは香港にとって、もはや不可欠な渡海交通機関ではなくなっていたのです。2006年、政府はエディンバラ・プレイスの埠頭を中環7号埠頭へ移転させることを決定し、一大センセーションとなった「スターフェリー埠頭保衛運動」を引き起こしましたが、埠頭は最終的に取り壊されました。

100年余りの間、スターフェリーは埋め立てによる埠頭の移転をどうしても避けられませんでした。2014年には湾仔(ワンチャイ)埠頭が150メートル沖へ移設されましたが、移転後の湾仔埠頭は、4本目の海底鉄道トンネルの工事が未完成だったため工事中の現場に完全に囲まれ、移転後のもともと不利な立地条件も重なって、2020年前後まで埠頭はまるで孤島のような状態が続き、乗客はいっそう流出しやすくなりました。

スターフェリーの公共交通機関としての地位は往時の比ではありません。それでも、フェリー業の縮小という現実に直面しながら、スターフェリーは100年の歳月を香港の人々とともに歩み、香港を象徴する重要なランドマークとなっています。「Star Ferry」は1997年の香港返還後、『ナショナル ジオグラフィック トラベラー』誌に取り上げられて国際級の観光名所となり、香港ヴィクトリア・ハーバー両岸の美しい風景と、光と音のショー「シンフォニー・オブ・ライツ(幻彩詠香江)」を、100年を超える歴史を持つこの渡し船と固く結びつけました。これもまた、香港の歴史的変遷を最もよく映す姿と言えるのかもしれません。

資料出典:

香港歷史圖片 : 博物館藏品精選

香港博物館編輯

香港歷史博物館

香港 : 香港市政局 1982

香港海上交通170年

陳志華

初版 香港 : 中華書局 2012

香港築印

文, 馮俊鍵 ; 攝影、插圖, 陳耀慈

香港 : 非凡出版 2020年6月

香港舊事見聞錄

陳謙

初版 香港 : 中原出版社 1987

集體回憶之維多利亞港 : 百年海港的故事

何耀生

初版 香港 : 明報出版社 2005

上半山下中環 : 一個城區的蛻變

余震宇編著

初版 香港 : 中華書局香港有限公司 2017

九龍海岸線 = Coastline of the Kowloon Peninsula

余震宇編著

初版 香港 : 中華書局香港有限公司 c2015

香港電台電視部 - 香港故事 (第19輯) - 我們的品牌(RTHK テレビ部制作の番組シリーズ)

http://www.starferry.com.hk/

https://www.nationalgeographic.com/travel/article/hong-kong-must-dos

https://www.discoverhongkong.com/tc/explore/attractions/best-ways-to-marvel-at-iconic-victoria-harbour.html

http://www.thevoice.org.hk/thevoiceOnline/article.asp?Position=7&ToPage=1&Class=11

https://hk.appledaily.com/local/20160810/USZBVPYKRTDYCPU5T6NINKX47U/ [アーカイブ]

<../pdfs/starferry-9789629374211-preview.pdf>

https://www.hk01.com/%E7%A4%BE%E5%8D%80%E5%B0%88%E9%A1%8C/108455/%E5%9C%96%E8%BC%AF-%E5%A4%A9%E6%98%9F%E8%88%B9%E9%95%B7-%E8%88%AA%E7%A8%8B%E5%83%85%E9%A4%984%E5%88%86%E9%90%98-%E6%B3%8A%E5%B2%B8%E6%AF%94%E8%88%AA%E6%B5%B7%E6%9B%B4%E9%9B%A3

http://news.bbc.co.uk/chinese/trad/hi/newsid_6140000/newsid_6140600/6140652.stm

Published in April 2021 by Hong Kong Brand Museum 香港品牌博物館

PDF資料

品牌博物館 019・スターフェリー館|ビクトリアハーバーを渡る百年の時2023-12-28