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香港ドラゴン航空館

香港ドラゴン航空

2020年末に親会社「キャセイパシフィック航空」により運航終了となった「キャセイドラゴン航空」(Cathay Dragon)。その前身である「香港ドラゴン航空」(Dragonair、中国語名は港龍航空、コンロン)は、香港の航空史において、真に香港人の航空会社と呼ぶにふさわしい存在でした。航空会社は昔から国家を代表する商業ブランドですが、香港は百数十年にわたり英国と中国の統治の狭間に置かれてきました。

港龍の誕生は、香港人のアイデンティティと役割が最も問われた時代のただ中にありました。

香港人の運命を映す

香港ブランド

香港人の

航空会社

キャセイパシフィックは昔から「香港人の航空会社」と称されてきたため、キャセイパシフィック、さらには「香港航空」までも香港生まれの会社だと誤解されがちです。しかし実際には、キャセイパシフィックはオーストラリアと米国の合弁会社であり、戦後にオーストラリア人パイロットと米国人パイロットが設立し、のちに英国系のスワイヤー(太古)グループに買収されました(キャセイの背景についてはキャセイパシフィック航空館をご覧ください)。一方の香港航空は、中国の「海航集団(HNAグループ)」が「中富航空(CRエアウェイズ)」を買収して改名した会社です。名前だけでなく、ブランドイメージや会員プログラムなどにも中国系航空会社の色彩が濃く、機体や尾翼のデザインに至っては中国の「海南航空」と瓜二つです。

これに対して香港ドラゴン航空は、香港の実業家・曹光彪が中心となり、包玉剛、霍英東ら地元の富豪たちが一部の中国資本と手を組んで、1985年5月に設立しました。「愛国商人」と呼ばれたこれらの香港富豪は、返還後には航空権益が英国政府の支配を離れるという好機を見据え、地元の航空会社を興すことで中国に貢献すると同時に、英国系企業キャセイパシフィックによる長年の独占を打ち破り、香港人の空をあらためて創り出そうとしたのです。その意味で港龍は、まさに「名実ともに」香港人のブランドだったといえます。

天上にはあっても、

地上にはない?

就航当初の港龍が保有していたのはボーイング737-200型旅客機わずか1機で、世間では「天上有、地下無」(空にはあっても、地上にはない)と冗談交じりに呼ばれました。唯一の飛行機が飛び立ってしまえば、地上に港龍の旅客機は姿を見せない、という意味です。港龍が2機目を購入したときには、今度は「天一半、地一半」(半分は空に、半分は地上に)と揶揄されました。

香港ドラゴン航空が設立された当初は、まだ返還前の英国統治時代でした。当時新たに公布された航空政策では、一つの路線は地元航空会社1社のみが運航できると定められ、この「独占運航」の資格は「先着順」で与えられました。そのため港龍はキャセイが未就航の路線しか運航できず、乗客数は自然と少なく利益も薄く、長期の赤字が続き、キャセイの脅威とはなり得ませんでした。英国統治下の香港政庁が政策によって英国系スワイヤー傘下のキャセイの利益を守っている、と指摘する世論も少なくありませんでした。

時は移り、キャセイに買収された後の港龍の機隊は拡大を続けました。2020年半ばの時点で、港龍はA320、A321、A330の3機種、計48機からなるエアバスの機隊を擁していました。

中英のせめぎ合いの狭間で

設立当初、英国統治下の政策の制約を受けて赤字が続いた港龍に対し、返還前の1990年から、キャセイパシフィック航空とその親会社スワイヤーグループは機に乗じて香港ドラゴン航空の株式35%を順次取得していきました。返還後の2006年には、すでに中国国際航空(エアチャイナ)の親会社の出資を受けていたキャセイパシフィックが、CITICパシフィック(中信泰富)などの主要株主と連合を組み、港龍の残りの株式をすべて買収。以来、香港ドラゴン航空はキャセイ傘下の一員となりました。

2016年、キャセイは傘下の香港ドラゴン航空を「キャセイドラゴン航空」に改名すると発表し、英語名は「Dragonair」から「Cathay Dragon」に変わりました。ロゴも従来の赤い「飛龍」から、キャセイ色の濃い赤い「翹首振翅」(首をもたげて翼を広げた姿)の図案に変更され、尾翼の旧塗装も塗り替えられて、機体前方に小さな「飛龍」マークが残るのみとなりました。「飛龍」から「フカヒレ」へ——「港龍 Dragonair」は正式に歴史の中へと歩み去ったのです。

香港人が中国へ飛ぶ

第一の選択肢

かつて香港人が中国本土へ渡って働くことはごく一般的で、返還前後には中国各地に香港人の足跡がありました。「大陸へ飛ぶなら、港龍に乗る」というのが多くの香港人の実感でした。当時、本土の航空会社のサービスや食事の質は総じて港龍に及びませんでした。港龍の客室乗務員は、親しみやすく友好的なサービス、耳慣れた広東語、そして香港人の口に合う機内食で、多くのファンの心をつかんだのです。

キャセイドラゴン航空は運航終了前、46路線を運航しており、その半数は中国本土の一線都市や二・三線都市への路線で、日本の福岡やタイのプーケットなど、東アジア・東南アジアの就航地も含まれていました。港龍は、キャセイパシフィックの大陸間路線網を補完し、また競合の香港航空による中国市場での急速な事業拡大に対抗するため、中国およびアジアの短距離路線を専門に運航する地域航空会社と位置づけられていました。

こうした分業のもと、港龍は多くの香港人にとって、本土への出張や近隣地域への短期旅行の際の第一の選択肢となったのです。

「香港航空」よりも香港らしい航空会社

香港ドラゴン航空は、九龍城とチェクラップコク(赤鱲角)それぞれの空港で、港龍ならではの香港記録を打ち立てています。

1986年、港龍は香港で初めて地元出身パイロットを養成する航空会社となりました。廃業前の港龍は地元出身パイロットの比率が比較的高い航空会社で、報道によればパイロットの半数近くが香港人だったのに対し、同時期のキャセイの香港人パイロットは約2割にとどまっていました。

1998年7月、香港ドラゴン航空の旅客機は、旧啓徳空港に着陸した最後の定期便となりました。

1999年5月、上海発香港行きの香港ドラゴン航空機は、チェクラップコクの香港国際空港第2滑走路に着陸した最初の定期便となりました。

2016年には、キャセイのブランド刷新に伴い、港龍本社ビルの名称を決める創意あふれる公募コンテストが開かれ、「國泰港龍大廈(キャセイドラゴンビル)」が優勝に輝いて、ネット上で激しい議論を呼んだこともありました。

港龍が築いたこれらの記憶は、真の「香港の航空会社」だけのものです。

もしも

運命を選べたなら

港龍というブランドの運命は、香港人の姿を映す鏡となったのでしょうか。香港の実業家が中心となって設立され、英国系のスワイヤーとキャセイの出資を受け、やがて香港人が大陸へ飛ぶ際の第一の選択肢となる——港龍の鼓動は、常に香港人とともに脈打ってきました。

近年、キャセイは経営のまずさを批判され、サービスの質や効率の低下が指摘されましたが、ブランド名と同じように、その評判も港龍の頭上に覆いかぶさりました。「キャセイドラゴン」への改名後、ブランドは飛躍するどころか内憂外患に陥り、衰退に直面したのです。

キャセイドラゴンは、新型肺炎(新型コロナウイルス感染症)の流行下で廃業した最初の地元航空会社となりました。キャセイパシフィックは、キャセイドラゴン航空が2020年10月21日をもって運航を停止すると発表し、社会に大きな衝撃を与えました。報道によれば、既存路線の大部分は親会社のキャセイパシフィックと同系ブランドの香港エクスプレス航空が引き継ぐ予定でしたが、すべては政府の認可を待つ状態でした。しかし、キャセイドラゴンの終焉は航空権益の再配分をめぐる政治的な駆け引きと関係があるのではないか、と疑問を呈する論評も少なくありませんでした。

35年にわたり香港の人々に尽くした香港ドラゴン航空は、こうして不完全な終止符を打ちました。港龍の誕生も廃業も政治環境と結びついているように見えますが、それはまた、香港人が数十年にわたり歩んできた道のりの縮図でもあります。港龍の終焉は、香港人のかつての輝かしい時代がすでに過ぎ去ったことの証しでもあるのでしょうか。かつて港龍に足繁く乗った香港人であれば、きっと万感の思いを抱くに違いありません。

資料出典:

《航空新舊聞》趙予杰
《從啟德出發》吳詹仕
《香港舊事重提》江啟明著
《香港歷史散步》丁新豹主編
《香港走過的道路》劉潤和、高添強著
《航空知識精讀》Kevin Tse 著
百姓半月刋編輯委員會, 1987
頭條日報【國泰大裁員】創立35年曾「天上有地下無」 港龍停運成歷史
經濟日報【國泰裁員】港龍航空35年走進歷史 紡大王創立、曾是港人飛內地首選(附今昔圖輯)

HK01 【衝上雲霄】落實機師本土化 從拓展航空專業學位開始
大學線 – 人變情未變 港龍飛行35載成歷史
キャセイパシフィック航空ウェブサイト
キャセイパシフィック航空 2020年中間報告書

swirepacific.com

Published in Jan 2021 by Hong Kong Brand Museum 香港品牌博物館

品牌博物館 016・香港ドラゴン航空館|香港人の運命を映したブランド2023-12-07