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【さらに読む】荳品廠の誕生 公和荳品廠

荳品廠の誕生 | さらに読む

深水埗(サムスイポー)にある公和荳品廠(コンウォー、Kung Wo Beancurd Factory)のブランドストーリー:

「受け継ぐことは容易ではありません。頼りになるのは粘り強さです」

「とても残念なことに、いまの世代では家族経営の伝統老舗を継ごうとしない後継者が多いのです。力を尽くして守り続け、次の世代のために特色ある伝統を残していきたいと思います」

午前10時半、深水埗・北河街の公和荳品廠を訪ね、店を預かる Renee さんを待ちながら、店内のしつらえを眺めました。ふだん香港の伝統的な食堂を訪れても、店内の人や風景をじっくり味わう機会はめったにありません。4代目の蘇意霞(Renee)さんが現れると、私たちは豆腐花(ダウフーファー、なめらかな豆腐のデザート)をいただきながら、約10年前に老舗を引き継いでからのさまざまな課題をどう乗り越えてきたか、そして興味深いブランドの物語の数々を、Renee さんの語り口とともに伺いました。

公和荳品廠は1893年に駱公和が創業し、豆乳、豆腐、豆腐花などの大豆製品を作ってきました。1958年、油麻地(ヤウマーテイ)の廣東道から深水埗の北河街へ移転。1997年、駱家の2代目が移民したのを機に、九龍城支店は潘家が引き継ぎ、深水埗の公和荳品廠は蘇家が引き継ぎました。蘇崇廉は駱家伝来の配合を受け継ぎ、さらに自らも研究を重ねて、この20年余り、公和の伝統豆品づくりの技を絶やさず守り伝えてきました。

老舗経営の危機を乗り越えて

いま私たちが目にする「表が店、奥が工場」の公和は、2016年の店舗大改装を経たものです。伝統的な店構えの趣を残しながら、経営上の危機も解決しました。当時、100万香港ドルを超える資金を投じて店舗を改装し、飲食店営業許可を申請しました。Renee さんは当時をまさに「一歩一歩が薄氷を踏む思い」だったと語ります。老舗の改装は新しい店の設計よりもはるかに難しく、その過程では保存への配慮が欠かせなかったからです。

店内は明るく清潔で、店員は忙しく立ち働き、店内で食事をするお客が絶え間なく訪れます。豆腐、豆腐花、豆乳、豆卜(ダウボッ、揚げ豆腐)——テイクアウトも店内飲食も手が止まることはありません。甜竹(甘みのある湯葉)、鮮枝竹(生の棒湯葉)、腐皮(湯葉)が整然と並び、中国語と英語を併記した札が添えられて、さまざまな国籍のお客の助けになっています。店のメニューも中英対訳で、しばらく座っていると、後ろの席から英語でメニューを回してほしいと頼まれました。会話を聞くともなしに聞いて、旅行者だと分かりました。

今日は食事客ではなく、一日だけ旅行者になったつもりで、ブランド学の視点からこのブランドストーリーに耳を傾けてみましょう。

  1. 看板の誕生:公和の看板は、実は著名な書家・區建公が北魏楷書の古い書体で揮毫したものです。力強く誇張の効いた筆致は、看板の文字に最適です。多くの老舗は題字ののち木で看板を作りました。第二次世界大戦後の1940年代から香港でよく見られるようになったものです。香港のこうした看板は書体も色もとても鮮やかで、白地に赤や緑の文字がたいへん好まれました。もちろん、数ある店の中で人目を引くためです。皆さんがよく知る「奇華餅家(Kee Wah Bakery)」の古い看板も區建公の作品です。Renee さんによれば、数年前の改装の際、公和の木製看板を高値で買い取りたいという申し出がありましたが、歴史保存の価値を考え、最終的に正面入口と看板をまとめて香港歴史博物館へ寄贈し、収蔵されることになりました。

  2. 店舗の改装:もともと公和は食品製造工場の許可しか持たず、店内での飲食営業ができませんでした。飲食店営業許可を取得するため、2016年に100万香港ドルを超える資金を投じて店舗を改装。歴史の刻印を残すと同時に、しつらえは時代に合わせて改める必要がありました。大きなブランドではないため、ブランドコンサルタントも雇っていません。長年お客に愛されてきたのは「無心の産物」だといいます。老舗はもともと尖沙咀の廣東道にあり、のちの再開発を経て、1958年に深水埗の北河街へ移りました。1960年代の香港の多くの老舗と同じく、かつての内装は主に緑・黄・赤を基調とし、淡い色のタイルに緑の幾何学模様を組み合わせた紙皮石(ジーペイセッ、小さなモザイクタイル)が、当時の最も典型的なしつらえでした。ブランド名を食器に印字するのは、Renee さんの父・蘇さんが何年も前に特別に作らせたアイデアです。かつてテイクアウトの需要に応えるため、一時は豆腐花をすべてプラスチックの椀に切り替えましたが、お客からブランド名入りの白磁の椀のほうが好きだという声が寄せられ、以来ずっと使い続けています。

  3. 老舗の体験:新しい店舗設計では、もとの看板の意匠をできる限り残し、タイルもできるだけ同じ色と柄を用いました。店内には空調を入れて半開放式の造りとしながらも、昔の扇風機や中2階(閣樓)の設計を残し、旧式の紙皮石の床や家具もできるだけそのままにしています。「開店以来の宝」であるダイヤル式の電話と、五、六十年の歴史を持つそろばんは陳列品となり、代金のやり取りに使われた竹かごは今も店内で最も目を引く展示品です。店の上にある約300平方フィートの中2階は、店の大切な思い出の場所です。公共住宅が不足していた1970年代の最盛期には、従業員10人の「宿舎」となり、当初はベッドもなく従業員はそのまま床に寝ていましたが、のちに碌架床(ロッガーチョン、二段ベッド)が備え付けられました。

  4. ブランドの個性:香港の伝統老舗が長くお客の愛と信頼を得てこられたのは、製品の質だけによるものではなく、そのブランド固有の個性によるものです。公和荳品が守り続ける人情味は、大手ブランドが多額の宣伝費をかけてもなかなか生み出せないものです。Renee さんは、改装の当時は多くの困難に直面したものの、幸いにもいくつもの老舗の助けと助言を得て、これらの課題を乗り越えられたと語ります。たとえば豆乳を炊く銅鑊(トンウォッ、銅の中華鍋)。鋼やステンレスの鍋ではすぐに「焦げ付いて」しまいますが、最後は同業者の紹介で、油麻地の銅打ちの老舗が力を貸してくれました。80歳を超える老職人は、値段の相談さえしないうちから、自ら鍋を打つことを引き受けてくれたのです。こうした先代の人々が互いを思いやる心意気と物語こそ、老舗ブランドの得がたい財産であり、ブランド価値なのです。

  5. ブランドの知名度:多くのブランドは受賞や品質認証の取得を会社の栄誉と考え、ブランドの知名度向上に役立てています。レストランにとっては、美食界のアカデミー賞と呼ばれる『ミシュランガイド(米芝蓮指南)』の推薦、さらには星の獲得が、多くの店やシェフの向上心の源となっています。しかし、安くて質の高い公和荳品廠はかつて、掲載されるかどうかは重要ではなく、最も大切なのは食べ物の質と食べる人の評価だと語りました。ミシュラン推薦の美食となれば、当然ながら旅行者も地元のお客も増えます。しかし、地元・深水埗の庶民の味を広めるという立ち位置を守り続けることこそ、sustainable marketing(持続可能なマーケティング)の成功の道なのです。

    一軒の老舗が受け継ぐべきものは、大切な製品の秘伝のレシピだけでなく、そのブランドの核となる価値です。近年の公和が直面してきた数々の試練の物語を Renee さんから伺い、ブランドの最も大切な価値を信じて守り抜くとともに、時代とともに歩んでこそ、こうした伝統産業を本当に守っていけるのだと知りました。

資料出典: 公和荳品廠へのインタビュー(edited in 2022)および各紙報道より

https://guide.michelin.com/mo/zh_HK/article/dining-out/kung-wo-beancurd-factory-hong-kong-collective-memory

http://www.mingpaocanada.com/van/htm/News/20180118/HK-gfl1_er_r.htm [アーカイブ]
https://www.metropop.com.hk/-%E6%8A%AC%E9%A0%AD%E6%8B%9B%E7%89%8C%E6%9B%B8%E6%B3%95%E5%AD%97%E6%95%91%E4%BA%A1 [アーカイブ]

最終更新日:2022年11月 本ページの関連読み物とリンクは、香港品牌博物館の親子絵本『豆品的故事』の資料を補足するものです。本書の制作にあたっては内容の正確性と完全性に力を尽くしていますが、資料に漏れや更新すべき点がありましたら、どうぞご遠慮なく作者までお知らせください。